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お父さん、お母さん、離婚をするとき私たちがいるのを忘れないでね。 離婚したあとも私たちのお父さん、お母さんでいてね。 だって私たちは、お父さんもお母さんも大好きだもん♪

2024-03

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NPO離婚と子どもを守る会
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両親が離婚しても、子どもは両親から慈しみ育ててもらう権利があるのを忘れないでね、お父さん、お母さん。

NPO離婚後の子どもを守る会では、離婚後も両親が子どもの為にお互いに協力し合って子どもを育てていける社会になることを目指しています。

子どもたちの心からの笑顔。それが私たちの宝です。
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「2年前、私が仕事に行っている間に、妻は1歳9ヶ月になる私たちの息子を連れて家を出ていきました。一番最近私が息子に会ったのは1月で、1時間だけでした。」この匿名希望の日本人男性と同じように、毎年16万6千人ほどの日本人および外国人の親たちが、別居後自分たちの子供に会う権利を奪われている。それには理由がある。司法の場が、いまだ明治時代から引き継がれた家族構成原理を前提に機能していて、そこでは面接交渉権も共同親権も認められず、また一方の親による子供の奪取も犯罪とはみなされていない。

「日本における現行の法律の状況では、先に子供を連れ去った親のほうが監護権を得るのです」と京都産業大学講師のリシャール・デルリュー氏は日本の親権に関する報告の中で語っている。彼自身子供を奪われ、現在SOS Parents Japan会長を務める。「裁判所は誘拐行為を黙認している」と彼は付け加える。「誘拐した親は子供を新しい住居に6ヶ月間住まわせてしまえば、もう一方の親に対して裁判の上で有利になり、それは監護権の獲得にとって決定的となるのです。」

こうしたやり口はあまりに一般化しており、時には配偶者間の枠をはみ出しても行われる。「私の妻は2年前にがんで亡くなりました」と回想するのはアメリカ人男性のポール・ウォング氏である。「それ以来、私の娘は亡妻の両親のところに住んでいます。私が娘を引き取ろうとすると、彼らは私を裁判所に訴えたのです。」裁判所は妻の両親の方に有利な判決をし、ウォング氏は親の権利を奪われてしまったのである。

時には母親のほうがこうした奪取の被害者になることもある。アエコ・マサコさんは、自分の元夫と13歳の息子がどこに住んでいるか知らない。その二人は、家族が住んでいたカナダの裁判所で共同監護つきの離婚が決められた後に日本に戻ってしまった。

しかしながら、全体の8割のケースにおいて、子供とのすべてのコンタクトを失うことになってしまうのは父親のほうである。スティーヴン・クリスティーのケースを見よう。彼はアメリカ人で、日本人妻と別居-離婚ではない―しているが、裁判所の外ではもう3年以来息子に会っていない。「わたしは東京家庭裁判所の一つの部屋で息子と一緒に1時間過ごすことができましたが、ずっとビデオカメラによる監視つきでした」と彼は語る。「わたしは質問することが許されませんでした。もし私が質問をしたならば、息子の方は答えないようにとの指令を受けているので、面会は中断させられてしまったでしょう。」

結婚の基本的義務(同居と相互協力)に反するこうした状況、子供を連れて家を出て行くことが奪取とみなされないこうした状況は日本における法律上の空洞の存在を指し示している。「問題は、家族法というものが、それぞれの家の独立性を侵さないように作られたものであるということです」と弁護士で法学教授の棚瀬孝雄氏は説明する。「法は家庭問題には介入しないのです」

監護権の問題は配偶者双方の間で交渉の対象となる。もし合意が不可能な場合には、最後の手段として裁判所に判断を求める。しかし裁判所の決定は、離婚の際にはどちらか片方の親だけが親権を持つことになるという-日本の法律にはっきり記されている-原理にのっとって行われるのである。

この原理は明治時代の遺産である。「1868年以降、新しい家族法が家長父制的側面を助長した」と1984年に『国際社会学研究誌』に書いたのがトキツ・ケンジ氏である。この法律は1945年に「平等主義的構造」に取って代わられたが、「実践には程遠い」状況のままである。こうした文脈の中ではいつも「家の維持と存続」に強調点が置かれた。離婚の際に親のどちらか一方が家族から、つまり「家」-日本語で「ウチ」-から外に出ることになるのである。そして前の家とは全く関係のない別の「ウチ」を作るのである。

「西洋においては、子供にとって最も重要な利益とされることは、両親双方に会うことである」と在外フランス議会議員のティエリ・コンシニ氏は言う。「日本では、子供が安定した形でひとつの家に住むということが最も重要な利益とされる」。日本政府は、子供が両親に会う権利に関するニューヨーク条約を1994年に批准したものの、状況は何も変わっていない。

面接交渉権は、法解釈として現れるのみで、正式に認めさせることが困難なままにとどまっている。大阪在住のフランス人は次のように語る。「私が離婚成立の条件として月2回息子に会う権利を認めさせようとしたとき、調停会議および私の元妻の両方に明らかな無理解を感じました。」

「離婚の際、面接交渉権が与えられた場合でも、それは普通1ヶ月に1回のみである」とデルリュー氏は指摘する。2割のケースにおいて面接交渉権が与えられるが、法律的空洞および裁判所側の強制力の欠如のために、監護権を持つ親が面接交渉を拒否することが可能になってしまっている。

これらの問題は、とりわけ日本人親の間で多くの反発を引き起こし始めている。日本社会も変化が進み、父親が子の教育にますます深く関るようになるにつれ、子供との別離はますますつらいものになっている。

もう一つの要因は、諸外国による外圧であるが、これは激増する国際結婚(1995年には27,427組だったのが2006年には44,701組)とその40パーセント以上が離婚するという状況の帰結である。子供の奪取事件-多くの場合、続いて慰謝料請求、さらには外国人親の文化の否定が来るが-はヨーロッパ各国および北アメリカ諸国の領事館の統計したところによると、159件にのぼり、そのうち40件はアメリカ合衆国、30件はイギリス、そして20件がフランスとなっているが、実際の数はもっと多いと考えられる。

アメリカ国務省は、日本に行く旅行者たちに対する注意事項のなかで、次のように指摘している。知られている限りにおいて「一方の親によってアメリカ合衆国から奪取された子供のうち、日本の裁判所の命令によって、アメリカに帰ってくることができたというケースは一件もない。」

EUの議長国がフランスになったことで、日本における面会拒否の問題を優先課題として取り上げることになったようである。ヨーロッパとアメリカ合衆国、そしてカナダの連携が本格化する模様である。

SOS Parents Japanおよび何人かの議員と共に、18の日本の協会が7月13日に東京でデモを行った。彼らの要求は、特に国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約を批准すること、別居及び離婚した両親に対する面接交渉権を日本の法律に明記すること、そして家庭裁判所に決定を遵守させるための強制手段を与えることである。

5月10日付の朝日新聞には、ハーグ条約の批准は2010年に行われる模様とある。しかし法務省は明言を避けている。

家族法検討委員会のメンバーである弁護士の中村多美子氏は状況を全く楽観していない。「日本社会はまだこの問題について議論を進展させる状況になっていないと思います」と中村氏は嘆く。「政界、そして法曹界もふくめ、大多数の人々はいまだに共同親権が問題を増大させ、子供を混乱させてしまうと思っているのです。」

フィリップ・メスメール

(亀訳)東京特派員

2008年7月29日付『ル・モンド』記事
http://sos-parents-japan.org/?p=58



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ワン夫妻はカヤを授かるとは夢にも思っていなかった。母親のアケミが癌だと診断されてから三年後、カヤ(4 歳)の誕生は奇跡であった。

しかし、ポール ワン、カヤの父親にとって夢にも思わなかったことがすぐに起こる。

2005年に妻の脳への癌の致命的な転移が見つかった数ヵ月後、カヤは母方の日本の祖父母に誘拐されたのだ、とワンは語る。

現在、ワンは娘のただ一人の生存する親であるにもかかわらず、子どもの監護権と連れ去りについての国際的な条約を未だ履行しようとしない、歴史的外国人恐怖症の日本にいるアメリカ人の親として、彼には打つ手はほとんどない。

日本は又、実質的に共同親権について制定された家族法も、慣習も存在しない国なのだ。

彼は娘が現在どこに住み、どの保育園に通い、そしてどんな風に過ごしているのかは知っているが、この六ヶ月間、友達家族が時折送ってくれる写真以外には娘を目にしたことは一度も無い。

ワンは世界の先進国で唯一、子の奪取の民事面に関する国際的な条約(ハーグ条約)に署名していない日本に子どもを連れ去られた、世界中に数百人いる「引き離しに遭っている」親」のうちの一人である。

悲嘆にくれて

現在、アメリカの重要な同盟国であり貿易パートナーである日本に連れ去られた47人のアメリカ国籍の子どもたちのうち、捜査中の事件が39件ある。

だが、もっとたくさんの事件があるのに、それらは通報されていない。

アメリカ国務省によれば、日本へと誘拐されたアメリカの子どもたちのうち、法的・外交的手段によってアメリカに連れ戻されたケースはひとつも無い。

「この経験のどれもこれもが私を悲嘆にくれさせるのです。」とワンはABCニュースドットコムに語った。「私たち夫婦は常に子どもを欲しがっていました。妻と私は家族を持つことについて長い間話し合っていました。しかしながら、アケミは病気だったので、子どもを持つのを待たねばならなかったのです。カヤが生まれたとき、私は妻に日本に移住することを約束しました。そうすれば私たちの娘は日本の文化を知ることができるし、アケミは病気であったけれども、年老いた両親の面倒を見ることができるからです。」

41歳の弁護士ワンは、病に侵される妻との約束を果たしたことは後悔していないと言う。 だがその約束は、たった一人の彼の子どもと会えなくなる一連の出来事のきっかけとなってしまったのだ。

「カヤはとてもエネルギッシュで、社交的で、活動的で、好奇心旺盛で純真な女の子です。彼女は本当に完璧で、かわいいと言ったらこの上ない。彼女は怖いもの知らずなんですよ。」電話インタビューに答えた彼は、日本から自分の娘についてこう語った。

「私は娘のことを考えるだけで、そして語るだけで、胸が張り裂けそうです。彼女は良く笑う子で、笑顔が母親にそっくりだ。」

カヤは2003年にサンフランシスコで生まれ、日本と合衆国の二重国籍を持つ。アケミが治療後、療養するためにカヤと京都にある実家に引っ越すまで、この若い家族は香港に住み、アケミの治療のためにたびたびカリフォルニアを訪れていた。

京都に移ってほどなくしてアケミは亡くなった。

 

虐待の申立ては常套手段

2005年12月に母の死が訪れてから一年以上、カヤは祖父母と同居し続けた。

ワンは、日本に移れるよう仕事を探している間、香港から月ごとにカヤと会うために通い続けていた。

しかし、やがて彼が仕事を見つけ移住の準備を始めた途端、事は一変した。

「私が昨年東京に引っ越した途端、祖父母はあらゆる手段を使って私からカヤを引き離そうとしたのです。私がカヤをつれて帰りますと言うと、彼らは私に対して訴訟を起こし、私が娘に性的虐待を行ったと主張したのです。そんな事実は全く無く、証拠は見え透いた嘘で並べ立てられています。」

ワンによれば、2007年9月の三連休に娘を東京ディズニーランドに連れて行ったとき以外、祖父母は彼がカヤといるときはいつもついて来ていた。

娘が保育園の水泳の時間が終わると毎日シャワーに入れてもらいチェックしてもらっているが、保育園の先生たちは虐待の痕など目にしたことがない、ということを日本の裁判所の調査官が認めた、と彼は言う。

ABCニュースドットコムは、祖父母であるヨコヤマ サトルとスミコ(ともに70歳代)にコンタクトを取ることが出来なかった。国務省の高官はこの事件の詳細についてコメントしないけれども、子の連れ去り事件においての虐待申立ては珍しいことではない、とスポークスマンは言う。

カヤの祖父母は年金受給者である。出生率を上げるための日本の政策により、幼い子どもを持つ家族は政府から月ごとに手当てを受け取ることができる。

この政策が、祖父母がカヤを手元にとどめておきたい理由の一つではないかとワンはみている。

ワンのケースは、子の親権争いのほとんどは配偶者の死ではなく離婚に起因すると言うことから考えると稀であろう。だが、引き離しに遭っている多くの親たちがはまり込む司法の泥沼の典型的な例である。彼は数万ドル(数百万円)を弁護士費用に費やし、裁判所の聴取に定期的に出席しているが、ほかの多くのケースと同じように、彼のケースもまた困窮している。

アメリカの親たちはすぐに、日本の裁判所のシステムが合衆国のそれとはだいぶ違うことに気づく。

公判前の証拠整理手続きでの証拠の開示や反対尋問は存在しない。両当事者の弁護士は自分たちの事件を単に裁判官に提出するだけである。

その上、親による子の連れ去りや共同親権についての社会通念・概念が存在しない。

子どもの身体的監護をしている親やその家族(大抵、日本人母親かその家族)に法的親権が与えられる。

「子の監護やそれに類似した問題に対処する根本的な司法制度が日本にもあるはず、と思いがちですが。。」と国際家事弁護士ジェレミー モーレィは言う。

「実際は、そんな司法制度は存在しないのです。」

「日本の家族法は非常に不完全です。しかも、日本人の子どもは日本人の親と日本にいた方がいいと言う文化的な思い込みがあります。詰まるところ、日本の家族法とは『子どもを占有している親(又は祖父母)が子どもを占有し、もう片方の親は引っ込んでいろ』と言うことです。」とモーレィは説明する。

カルチャークラッシュ

文化的に両方の親が親権を持つことも、面接権についての概念も存在しない。夫婦がいったん別れると、子どもは一方の親に占有されるのが典型的であり、もう一方の親とは二度と接することは無い。

1982年、小泉純一郎元総理大臣は,四年間婚姻していた当時身重の妻と離婚をして以来、二人の息子たち、孝太郎と進次郎の親権を持つ。元妻・宮本佳代子は、まだ生まれぬ子ども・宮本佳長の親権を得た。

離婚以来、宮本は彼女の二人の上の息子たちには一度も会っておらず、小泉は末息子の佳長に会ったことがない。

この文化的背景に反して、子どもの監護権を求め続けるアメリカ人の親たちは、クルクルと何年も回り続けるだけで何の結果も得られない日本の裁判聴取の回転ドアを回り続けているのに気づくのだ。

アメリカ海軍中佐であるポール トーランドは、「娘を取り戻すためにこの5年間でゆうに10万ドル以上(一千万円以上)の弁護士費用を使いました。」と見積もる。

トーランドの娘は、彼が日本に配置されていた2003年に元妻が東京の親と同居するために連れて行かれ、以来一度も会っていない。

彼は娘エリカ(5歳)の監護権を求め、彼女がまだ九ヶ月のときに訴訟を始めた。彼の妻、フタギ エツコは2007年9月に自殺をし、エリカの母方の祖母が彼女を占有した。

「自分が同じことの繰り返しに陥っていることが本当に不満です。」と、ヴァージニアに住むトーランド(40歳)は言う。

「決着させようというのは、悪夢です。」

 

手元において置く(=占有)が鍵

トーランドはエリカにとって、ただ一人の生存する親であるのに、日本の裁判官は数え切れない聴取の場において、「子どもが現在一緒に住んでいる人間と住むのが子の最善の福祉である」という文化的強制を支持している。

「裁判所に入ってくるときに子どもを監護している人であれば誰でも、その子の監護権が与えられるのです。」とトーランドは言う。「裁判官は現状を崩そうとはしないのです。制度に実効力が無いから法が執行されるなんてことはありません。警察はそれが家庭内の出来事であるからと言って介入しようとしません。裁判官は皆そのことを知っているし、仮に、決して実行されはしないことを命令したりすると面目を失うことになるから現状主義を採るわけです。」

トーランドに今出来るのは、ひたすら待ち続け、裁判を続けていくことだけである。

彼は「プレゼントと、子どもに本を読んであげているところを撮ったビデオがいっぱい詰まった大きい小包」を定期的に送っていると言う。彼は、果たしてこれらのビデオが娘の手元にちゃんと届いているかどうかわからないので、ついに親権を獲得できたときに娘に渡せるよう、ビデオのコピーを頑丈な箱にとっておいている。

「日本において親による子の連れ去りは犯罪にならないのですが、子どもを日本から連れ去ることは犯罪になります。子どもを日本に連れ去るのは合法で、私が子どもを連れて国に帰るのは犯罪になるのです。」

彼の両親は80歳になったところで、未だに孫娘に会ったことが無い。

「私の両親がエリカを知って、エリカのことを愛することを邪魔立てするなんて、それは犯罪です。」と彼はつぶやく

 

「同意できない国」

多くのアメリカ人は国務省や政治家に外交的協力を依頼するが、司法的・文化的切り札を突きつけられているため、助けはほとんど得られない。

「日本はほとんどの事柄については重要なパートナーです。」と国務省の海外における合衆国市民サービス副長官補佐ミッシェル ボンドは語る。「しかしながら、このことは我々とは大きく意を異にする問題なのです。引き離しにあっている親たちは、子どもを連れ戻すための不毛なキャンペーンをすることになります。」

「アメリカ国務省は、国際的な子の連れ去りの問題と、日本がハーグ国際条約(1980年に締結された、国境を越えた国際的な子の連れ去りについての条約)への参加を拒否している問題について随時取り上げている。」と彼女は言う。

他の国々、とりわけシャリア法を慣行するイスラム教の国々もこの条約に参加していない。

しかしながら、これらの国々との多くの事件で、合衆国は子どもの連れ戻しにつながる合意や、相互理解についての覚書を結ぶことに漕ぎ着けている。だが日本との間にはそのような覚書は存在しない。

「我々は、ことある機会ごとに日本政府に働きかけ、毎回この問題を取り上げてきました。我々はこの問題に光を当て、これは他国の伝統の問題ではないのだということを日本政府に理解させようとしています。なかなかはかどりませんが、我々は両国の文化を尊重し、全ての人の権利、とりわけ子どもたちの権利を尊重するような解決方法を見出すことが出来ると希望を抱いています。」とボンドは語る。

国務省は現在、世界中で1,743人の子どもたちが巻き込まれている1,197件の子の連れ去り事件の捜査を抱えている。

家族は、合衆国政府からはほとんど助けを得られないとわかっているので、日本への連れ去りの事件の多くは通報されていないとボンドは言う。

 

議会の努力

「文化的に、日本は外国人の父親と関わりたがらない傾向があります。法律では、親による子の連れ去りは犯罪と認められていません。犯罪が起こっているという認識が無いため、犯罪者の引渡しは制限されてしまいます。」と議員は語る。

アメリカの議員の代表として日本の外交官にコンタクトを取り続けているにもかかわらず、ワンのケースは何の変化も見られない。

2007年4月に、カリフォルニア州の民主党バーバラ ボクスター上院議員は、安倍晋三前首相の訪米時に、ブッシュ大統領宛に子どもの連れ去りについての手紙を送った。

「私は、日本がこれらの事件に対して何の協力もしていないことをとても憂慮しており、大統領に、日本に対し国際的な親による子の連れ去りについて合衆国やその他の国々に全面的に協力するよう主張することを強く求めます。又、私は大統領が安倍首相に対し、国際的な子の奪取の民事面についてのハーグ国際条約を支持することと、未成年の子どものパスポート取得には双方の親による署名を義務づけすることを迫るよう希望します。」と手紙に述べている。

日本政府は子の連れ去りに関する特定の事件についてのコメントを避け、ABCニュースドットコムに対する独占声明において「連れ去り」という言葉を使用していない。

「我々は、国際的な人々の交流が広がるにつれ多くなってきているこのような問題に直面している親御さんや子どもたちの苦境に対して心より同情申し上げます。」ワシントンDCにある日本大使館からの声明にはこうある。

大使館は、ハーグ国際条約は日本の法律にはそぐわないが、国際条約に加わることは検討中であると述べる。

「日本がハーグ国際条約に加わることの可能性に関しては、子の親権に関する日本の司法制度が、ハーグ条約の根幹を成している概念と極めて異なることを挙げなければなりません。日本の裁判所はそれぞれの事件において何が子の最善の福祉であるかを考慮いたします。一方、国際条約では、原則として関連する司法、行政機関が、稀な場合を除いて、子の返還についての命令をするようになっております。」

稀有な成功

引き離しに遭っているアメリカ人の親は、日本の裁判官と日本の外交官のメッセージをそのまま伝言するアメリカの外交官から同じことを聞かされるのに慣れてしまった。

「我々は、子の最善の福祉とは両方の親と交流できることであると固く信じています。」と国務省のボンドは言う。

彼女は、外交協議や法的な争いにより子どもが日本から合衆国に戻ったことは一度も無いが、子どもたちがアメリカ人の親と再会を果たした、たった三件の「二件は両親が和解したもので、もう一件は15歳の子が逃げてきた」事例は知っていると語った。

ソルトレイクシティーに住むマイケル C.ガルブラーは、15歳の息子(現在は17歳)クリストファーの父親である。クリストファーは2006年に合衆国に戻ってきた。彼のことを逃亡者と呼ぶのは、もし息子が日本を脱出したがっているのならそれを実行させてやろうとした彼の父親の何年にも及ぶ細心の計画を軽んじることになる。

ガルブラーと妻が1996年4月に離婚した後、妻がクリストファーと兄のマイケル K.ガルブラーの監護権を得た。

1999年、息子たちが8歳と9歳のとき、ガルブラーは、妻の二番目の夫が自分の血のつながった息子の虐待容疑で取調べを受けていることを知った。

裁判所の任命した保護監督者と専門家による数ヶ月に及ぶ調査の後、彼の元妻、タニザキ オーレッド エツコは息子の監護権を失うことを恐れて2001年に息子たちを日本に連れ去ったのである。

2002年、裁判所はガルブラーに監護権を与え、オーレッドをユタ州法において監護権妨害による重罪と連邦法における国際間の誘拐罪で告発した。オーレッドに対し国際令状が出されているにもかかわらず、日本の裁判所は彼女にガルブラーの子どもたちを戻すように求めることは無かった。

「2006年7月までこのままの状態でした。思いつくことは全てやってみました。私はバチカン(ローマ法王)にまで仲介をお願いする陳情書を送りました。」

2006年、クリストファーは携帯のメールで父親に連絡をし、合衆国に戻りたいと言った。息子が誘拐されて以来、ガルブラーは合衆国外交高官が合法的にできる協力を全て駆使し、息子たちの緊急パスポートを取得し、飛行機に乗せる手はずを整えていた。

 

脱出した者

息子たちの母親がこの計画に気づき、息子の現金と身分証明書を取り上げ、パスポートを取得するために領事館まで電車で行く事は難しくなった。

ガルブラーは息子がどうやって電車賃を手にしたのかを明かさなかったが、自分が大阪領事館まで行き、息子の写真と、息子が身元を証明するために彼だけが答えられる質問を事前に渡していたのだと語った。

「クリスは自転車で出かけてくると言って、名古屋から大阪行きの電車に乗ったのです。私たちは彼がお金も、写真付の身分証明書も持たないまま計画をやり遂げなければならなかったのです。2006年の8月終わりに、彼は合衆国政府の全ての機関の協力を得て帰国できたのです。大阪領事館から東京の大使館まで、皆様が法を破らずに息子が帰国できるようあらゆることをしてくれました。」

ガルブラーの息子との再会は、日本にまだいる長男、マイケルのことを考えると喜び半分、悲しみ半分である。

今日、ガルブラーは他の引き離しに遭っている親を助け、誘拐されたアメリカの子どもたちが正当な権利を有する保護者と再会できるようにするための請願書を合衆国政府に提出し続けている。

「貿易や牛肉の輸出について懸念しているからと言って、自国民が子どもたちと引き裂かれている時に、同盟国にへつらうなんてどう考えてもおかしい。連れ去りは連れ去りだ。止めさせなければ。」【了】


記事 ラッセル ゴールドマン

2008年2月26日

著作権 2008 ABC News Internet Ventures

翻訳  離婚後の子どもを守る会 テムラク歩美

近年、国際結婚の破たんに伴い、両親が子どもの親権を争った結果、一方の親が他方の親に無断で子どもを国外に連れ出してしまう「国際的な親による子の奪取」の事例が世界中で増えている。このような出来事は子どもにとっても親にとっても悲劇である。米国国務省は、子どもを不当に奪取された米国人の親を支援するために専門の部署を設け、この問題に積極的に取り組んできた。「国際的な親による子の奪取」の問題と、それに対する国務省の取り組みについて、ミシェル・ボンド国務次官補代理(海外市民サービス担当)に詳しく説明してもらった。



問:国際的な親による子の奪取とはどのような問題ですか。子を連れ去る者が親である場合、どうしてそれを「奪取」と見なすことができるのですか。



答:親による子の奪取は、それに巻き込まれた子にとっても、残された親にとっても悲劇です。国際的な親による子の奪取は、一方の親が、他方の親から子に接触する正当な権利を奪う意図で、国境を越えて子を連れ去る場合に発生します。米国では、離婚しても、それぞれの親と子との関係および接触は続けられるべきだと考えられています。

 多くの場合、子どもを不当に連れ去られて後に残された親がその子どもを見つけ出して、奪取した親やその子どもと再び連絡を取り合うためには、気の遠くなるような努力をしなければなりません。子どもが国境を越えて奪取されると、すべての関係者が大変な思いをすることになります。

 たとえ子どもを連れ去った者が親であったとしても、もう一方の親から、親子の関係と、法律で定められた親としての権利を奪おうとすることは、残された親の法的権利という点だけでなく、子どもが自分の親と関係を持つ権利を拒否されるという点からいっても、間違っています。米国のこのような文化的規範は、連邦およびほとんどの州の刑法で認められており、国際的な親による子の奪取は犯罪と見なされています。さらに、親と子がその関係を維持する権利は、「国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約」を含む国際協定の基礎を成すものです。



問:米国国務省は、国際的な子の奪取の事例にどのように対処していますか。



答: まず、可能な場合には奪取の防止を試みます。国務省の児童課子どもの奪取対策係(Office of Children’s Issues, Prevention Unit) は、国際的な子の奪取という脅威について親を教育し、そのような脅威から米国の子どもたちを守るために、親と協力しています。領事局のウェブサイト(www.travel.state.gov ) に掲載されている対策には、親のための注意事項、親権命令の重要性、親の同意に関する規則を含む未成年の子どもの旅券取得条件、子どもの旅券発給警告プログラム(Children’s Passport Issuance Alert Program: CPIAP) に関する情報などがあります。CPIAP は、未成年の子どもに米国の旅券が発給される前に、児童課が、親または裁判所が定めた法定後見人に旅券を発行することを知らせるものです。このプログラムに子どもの名前を登録するためには、親または後見人が文書で、児童課に申請する必要があります。

 国務省の、ひいては児童課の最優先事項は、米国市民である子どもの福祉を守ることです。最も弱い立場にある米国市民を保護するために、国務省は米国大使館・領事館を通じて、奪取された子どもを訪問して、その生活状態を調べます。また、外国政府に対し虐待やネグレクト(育児放棄)の懸念を提起し、奪取された子を親権を持つ親の元に返すために合法的で適切なあらゆる手段を取ります。子どもを連れ去る親は、残された親に自分たちの居場所を教えない可能性があるため、こうした訪問を実施するには、多くの場合、連れ去られた子どもが居住する国の政府の支援が必要になります。

 国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約が適用される場合には、米国における同条約の中央当局(Central Authority) である児童課が親を手助けして、子どもが居住する国の中央当局に子の返還・面会請求を申請します。

 日本のようなハーグ条約非加盟国の場合には、児童課は、子どもを奪取した者を米国法により刑事告発するなど、その他の選択肢があることを、残された親に助言しています。国務省はまた、米国市民ではない奪取者と奪取を助けた者を米国査証不適格者とします。また、米国大使館と領事館の担当者は、子どもが居住する国政府の担当者と交渉して、奪取された子どもの返還を強く求めます。

 必要な場合には、当事者間での話し合いの場を設けるよう努めます。話し合いを通じて非公式な解決または和解に向けた交渉が行われ、両者が合意に至って、残された親が時々子どもに面会することが可能になる場合があります。これらの和解は、事態の全面的な解決にはならないかもしれませんが、ほとんどの親は、時々子に会えることの方が、完全に切り離されるよりもはるかにましだと考えています。

 刑事告発、国際刑事警察機構への通報、奪取者を米国査証不適格者とする、といった手段は、子を連れ去った親の移動を制限し、問題解決のための交渉に応じるよう圧力をかけるものです。問:1年間に、国際的な親による子の奪取の事例はどのくらい発生していますか。解決に至るのは何件ぐらいですか。



答:過去12 カ月(2006 年10 月から2007 年10月まで)で、児童課は、世界各地で発生した、およそ750 人の子どもにかかわる550 件以上の事例について調査を開始しました。また、241人の子どもにかかわる185 件の事例を解決しましたが、それらの多くは1年以上も未解決のままでした。



問:解決には、どのような手段が用いられますか。



答:大多数は、国際的な親による子の奪取に関するハーグ条約の規定に基づいて解決されます。ハーグ条約が適用されない場合は、話し合いと法的(民事および刑事の両方)救済手段、査証受給の不適格条件の適用、子どもが居住する国の政府との協力などの手段を組み合わせます。ハーグ条約が適用される場合と異なり、幸せな結末をもたらす特定の解決法はありません。残された親とその支援者がかなりの創造力を働かせる必要がある場合が多くなっています。



問:日本とはどのような状況にありますか。



答:これまでのところ、日本での親による子の奪取については、ほとんどの場合、両国が協力して解決策を見出すことができない状況にあります。日本は米国の重要なパートナーであり友人ですから、これは特に大きな問題です。

 残された親は、日本へ連れ去られた子どもを探し出そうとしますが、これはもどかしい作業であり、時には無駄に終わることもあります。日本と米国では、文化的に、離婚と子育ての問題に対する考え方が大きく異なります。日本の刑法は、親による子の奪取を犯罪と見なしていません。日本の個人情報保護法は、奪取された子の捜索を妨げる可能性があります。私たちが知る限りでは、日本で解決に至った案件はこれまでに3件しかありません。これは、国務省の支援を受けて、親同士の間で非公式に解決されたものです。

 日本のハーグ条約への加盟でも、残された親が自分の子どもの情報を探すことを支援するその他の措置でも、方法はどちらでも構わないので、この重要な問題に関して日米関係が向上することを私たちは強く望んでいます。



問:国務省は、日本から米国へ子どもが連れ去られた場合に何らかの措置を取りますか。



答:米国内の関係機関と協力して、日本に残された親を支援することになると思いますが、私たちが知る限りでは、日本から米国へ子供が連れ去られた事例はありません。日本がハーグ条約に加盟すれば、日本から米国へ子どもが連れ去られた場合に、その解決に向け両国が協力するための法的基盤を提供することになると思います。



問:子どもを連れ去った親が米国に戻る、あるいはハーグ条約加盟国に移動した場合、その親は逮捕される可能性がありますか。



答:ハーグ条約は、民事上の救済措置に関する協定です。子どもを連れ去った親の逮捕に関する規定はありません。条約の目的は、子どもが違法に連れ去られる前に居住していた国の法廷で親権問題を解決するための管轄権を守ることにあります。私たちの経験では、ハーグ条約に基づく活発な協力関係を築くことで、刑事訴訟は増えるのではなく、逆に減少します。それは、この条約が自分たちのために機能してくれると親たちが認識しているからです。

 実際に、未決の刑事訴訟があると、ハーグ条約が適用される事例の解決を妨げる可能性があります。しかし、米国に残された親は、子どもがハーグ条約加盟国へ連れ去られた場合でも、刑事上の救済措置を求めることができます。ただし、私たちは親に、刑事訴訟の令状が、ハーグ条約に基づく子どもの返還に悪影響を及ぼすかもしれないと警告しています。



問:日本政府は、ハーグ条約に署名しない理由を何と言っていますか。なぜ米国は、日本がこの条約に署名すべきであると考えますか。現在、日米政府間でこの問題に関して交渉が行われていますか。



答:ハーグ条約に関する度重なる話し合いの中で、日本は、離婚と子育ての問題に関して、日本と米国の間には、大きな文化的違いがあることに言及しています。米国は日本の文化に深い敬意を払う一方で、ハーグ条約が、これらの困難で悲劇的な状況に関係するすべての当事者にとって公平かつ正当な方法で、文化的・法的違いを解決するための仕組みを提供するものと信じています。

 私たちは日本政府の担当者に、国際的な親による子の奪取についての懸念を表明しており、今後も機会あるごとに繰り返し表明していくでしょう。これは、米国国民にとっても、また米国連邦議会にとっても重要な問題です。この問題について日本とより良い関係を築くために絶えず努力することが、残された親に対する私たちの責任であると考えています。



問:日本では離婚すると、たとえ両親ともに日本人であっても、多くの場合、父親には子どもとの面会権が与えられません。これは文化的見解の違いではないでしょうか。面会はなぜ重要なのですか。



答:私たちは、文化的見解の違いがあることを認識し、これを尊重しています。そのような違いがある場合、両方の親にとって公平な解決策を見つけるために、自国の国民を支援することは、友好国であり、同盟国でもある両国政府の役割です。現状が一方の親に極めて有利で、結果として常にもう一方の親を全く考慮しない結果になってしまう場合、どう見ても公正とは言えません。

 面会がなぜ重要なのかを説明することは、親がなぜ子どもを愛するのかを説明しようとすることと同じです。面会は、親権のない親に親子関係を育む機会を与えるために重要なのです。子どもたちは、成長して、責任ある成人となるために、親を自分の行動の手本とし、親に指導を求め、親によって育ててもらいます。確かに、米国では、面会の法的側面は重要であり、法治国家はこれを尊重すべきとされています。しかし、残された親にとっては、このような悲劇的な状況に伴う苦悩と不安の方が重要です。世界の多くの国は、親による子どもへの接触と面会を基本的人権と見なしています。

 私たちは、家族法や文化が米国とは大きく異なる他の国々ともうまく協力しています。しかし、国が違っても変わらないのは、子どもに対する親の生涯変わらぬ愛であり、子どもが自分の両親が誰であるかを知り、両親を愛する必要がある、という点です。



問:日本へ子どもを連れ去るのは母親と父親とどちらが多いですか。日本人の多くは子どもは母親といる方が良いと考えています。米国ではどう考えますか。



答:日本が関係する事例では、子どもを連れ去る親は、ほぼすべて日本人の母親です。国を代表して話すことは差し控えますが、米国人の多くは、子どもの人生において、両親がそれぞれの役割を果たすことが、子どもにとって最も良いことであると考えています。米国の法律は、民事法も刑事法も、その確固たる信念を反映しています。


【AMERICAN VIEW - FALL 2007】

http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20071127-81.html

 

ムレィ・ウッドの二人の子どもたちは重病の祖父を見舞うため、二、三週間の滞在の予定で、彼の日本人元妻と伴にカナダから日本へ向けて旅立った。

 

しかし、彼の子どもたちは、未だに戻ってこない。
日本で、母親の手元にいるのだ。

 

そのとき以来、ウッドは日本で親権争いをしている。その中で、彼の元妻の行為は1980年国際間の子の奪取に関する民事面でのハーグ国際条約違反だと主張している。

 

ハーグ国際条約にはもう一方の親の承諾なしに、片方の親により加盟国から連れ去られたり、そのまま保持されている子どもたちは速やかにもとの居住国に返還されねばならないとある。また、親権は元の居住国で解決されることについても規定してある。

 

現在、カナダ、アメリカ、イギリス、中国を含め75カ国が加盟国である。
しかし日本はそうではない。

 

ウッドは2004年の2月、カナダのブリティッシュコロンビアの最高裁判所から子どもたちの単独親権を与えられた。彼は子どもたちが病気の祖父を見舞うために日本に行くことを2004129日までに子どもたちがカナダに帰国する裁判所命令を得た上で、同意をした。

 

しかし彼らが戻ってこなかったときウッドは元妻のアパートを訪ねてみて、そこが空っぽで、しかも電話の契約が切れていることを知ったのだという。

 

昨年の2月、ウッドは埼玉地方裁判所に子どもたちの人身保護命令を求めた。しかし、その数ヵ月後、妻は埼玉家庭裁判所に子の親権を求める訴えを起こしたのだ。

 

地裁、その後、最高裁判所はウッドの訴えを退けた。カナダ最高裁判所のウッドへの親権決定にもかかわらず、家裁、後に東京高等裁判所は子どもたちは彼らの希望に沿って日本にいるのであり、彼らの意思に反して決定はなされないとして、元妻に子どもたちの親権を与えたのだった。

ウッドは最高裁判所に親権決定の無効を求め上訴した。

 

(日本の)家裁は根本的に欠陥があると思います。」彼はこう話す、「裁判所が子どもにとってもっとも望ましいのはひとつの家族であって、(離婚後の)二つの家族という形で、子どもを混乱させるのは良くないと考えています。これは根本的に間違っています。」

 

200512月の初め、東京カナダ大使館で国際間の子の連れ去りとハーグ条約についてのシンポジウムを開催した。そこでは、外交官、法律専門家、ウッドを含む子どもと引き裂かれた外国人親が、彼らの体験とこの問題について話し合った。

 

パネリストの一人、沖縄で活躍するアメリカ人弁護士アネット・マリー・エディーキャラゲインは、日本が子の連れ去りの「天国」になっていると批判した。

 

「子どもが日本に連れ去れると、日本はハーグ条約の批准国でないので、子どもたちを連れ戻すのはほとんど不可能といっていいでしょう。」と彼女は言う。

 

また、「親による連れ去りは愛からの行為ではありません。」と語気を強める。「(世界中で)80%の親による連れ去りは復讐心によるものです。そして子どもが復讐の手先として使われるのです。」

 

カナダ大使館は(2005)現在、21件の子の連れ去り事件を扱っており、イギリス大使館は5件、アメリカ大使館は、20人の子どもたちが日本へ連れ去られたことを確認しているという。

 

一橋大学の国際私法専門家の横山潤教授は日本がハーグ条約を批准することの必要性を強調する。

 

彼はハーグ条約が発効した1980年にはおそらく国際結婚が少なかったので、日本は参加する必要が無かったのかもしれないと見る。

 

厚生労働省のデーターによれば、1980年には日本人と外国人のカップルは7,261件のみだったのが、2004年には、五倍以上の39,511件に増えている。

 

横山は日本がハーグ条約に参加するのは「特に、日本に住む人にとって重要なのです。というのも、実際かなり多くの子どもたちがー日本に連れ去られるより多くの子どもたちがー日本からよその国へ連れ去られているからです。しかしながら、子どもが他の国に連れ去られた場合、その国で解決される問題となるので、上記のケースはほとんど表沙汰にはなりません。」と彼は主張する。

 

「実際のところ、ハーグ条約を批准しないということは日本の住民が多くの不利益を被ることになるのです。」と横山は述べる。

 

日本は「子どもは親の意思に反して、親から引き離されてはならない」という規定のある国連子どもの権利条約の署名国である。

 

国連の条約は一般的な子どもの権利についてのものであるが、ハーグ条約は加盟国の政府が準拠することを義務付ける権限を持つと横山は説明する。

 

「ハーグ条約なしでは国際間の子の連れ去りは無法分野となります。」横山は続ける、「それでは子どもを連れ去った者の勝ちとなってしまいます。」

 

彼はまた、国際間の連れ去りの事件では迅速性が鍵だと指摘する。裁判所の手続きが長引けば、ウッドのケースのように子どもたちが新しい国に愛着を感じてしまうのだ、と説明する。

 

横山は「子どもたちは、もう一方の親と(彼らの元話していた言葉で、)コミュニケーションをとることが出来なくなるでしょう。」と分析する。「それゆえ、裁判所が子どもの福祉について判断するときに、コミュニケーションも取れないような親に子どもを引き渡すことはしないでしょう。」

 

言い換えると、子を連れ去った者が、裁判所手続きを長引かせれば、するほど、子どもの親権を得やすくなるのだ、と横山は言う。

 

この一年で、ウッドは子どもたちにたった一度しか会えていない―5月に行われた埼玉裁判所での15分の聞き取りのときのみである。しかし、混乱して、息子は彼に会うことを拒否し、娘はほんのちょっとだけ現れ、ひどく困惑し、不安そうだったという。

 

「最悪でした。」ウッドはつぶやく。「子どもたちは私の人生そのものです…私は親子関係を取り戻したいのです。」




The Japan Times

2005年12月31日記事より抜粋、翻訳
Ito Masami記者

著作権 ジャパンタイムズ

 

翻訳 離婚後の子どもを守る会 テムラク歩美

 

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